カスリーン台風(昭和22年)利根川大洪水(東京浸水)
号外号
この記事は昔の地震記録を紹介しておりますが、今回は特別に水害の記録をお届けします。
9月15日から19日にかけては、今から72年前の1947(昭和22)年に東京都東部地域が水没した「キャスリーン台風大洪水」がおきた日です。
キャスリーン(カスリーン)台風は、1947年9月15日未明に紀伊半島沖から遠州灘、千葉県沖海上を通過し、上陸はしませんでしたが、関東各地に膨大な量の雨の降らせました。
台風の推定中心気圧 960ミリバール(ヘクトパスカルの昔の言い方)
最大風速 45メートル/毎秒
死者 1,077人
行方不明者 853人
負傷者 1,547人
家屋損壊 9.298戸
家屋浸水 384,743戸
被災者 約40万人
各地の雨量
秩父 610ミリ
前橋 391ミリ
箱根 532ミリ
熊谷 341ミリ
日光 467ミリ
今回の台風19号とほぼ同じレベル
この台風によって利根川、渡良瀬川、荒川の堤防が決壊しました。
現在の埼玉県加須市の利根川右岸(東武日光線橋梁のやや上流部)の堤防から、1947年9月15日夜9時に水が溢れはじめました。その後午前0時ごろ同じ場所の堤防が約370メートルにわたって一気に決壊。濁流が埼玉県側を襲いました。水が大きな岩石と流木を一緒に流したため、それらの直撃を受けた木造家屋は破壊されました。
また同日夜には荒川が熊谷市で洪水を起こしました。
利根川の濁流は埼玉県東部の低地地帯を流れくだり、9月19日未明に東京都江戸川区小岩に到達しました。都内東部の下町一帯が大きな池に変わってしまいました。
「天災は忘れた頃にやって来る」
今回の台風19号によって利根川の水が非常に危険な高さまで上がりました。
埼玉県加須市と久喜市はキャスリーン台風のときと同じ場所の堤防が破堤すると推定し、住民に避難勧告をしました。
結果的にギリギリのところで増水がストップし、数百万人もの人が水にのまれて被災する最悪の事態は避けられました。しかしもしもあと数メートル水位が上がれば洪水が発生していました。
東京は有史以来、利根川洪水による浸水を繰り返してきた町です。隅田川や荒川、中川などは昔の利根川(荒川と渡良瀬川を含む)の跡です。大洪水が発生すれば昔の河道が復活します。
歴史の事実を忘れないように水害を忘れず減災しましょう。